いまから4年半前の2005年5月、天の川の遡行に挑戦するも、私有地の看板の前にあえなく敗退した。その後、当研究所が土浦市から日立市に移転したりといろいろあったが、近所の川の源流を見たいという欲求は私の中でくすぶり続けていたのである。
なぜそこまで遡行にこだわるのか。確かな答はないのだが、たぶん田部重治に通じるところがあるのだろう。
渓谷の遡行は日本人に取って最も愉快なものである。日本人ならずとも、流れる水、しかも清純なる水に対する嗜好は、誰しももっている。しかし日本人は最も清純なる水を好む民族であり、また、最も清純なる水は、日本の渓谷において見出される。
田部 重治:新編 山と渓谷(岩波文庫、1993年)
そんなわけで再び近所の川を遡ってみることにした。だが、近所の川といっても、日立市内には多賀山地から流れ出す河川がいくつもあり、どの川を選ぶか悩ましいところだ。河川長や勾配は似たりよったりである。
そこで、前回の反省から上流部の立ち入りやすさを優先し、日立市北部を流れる東連津川を選択した。東連津川の最上流部は沢平という集落で、源流はその周辺だ。鉱山や採石場はなく、もし負傷したり道に迷ったりしてももすぐに人里に出られるという点でも安心だ。
東連津川は日立市北部を流れる二級河川である。神峰山の北に源を発し、小木津浜で太平洋に注ぐ。日立市内の慢性的な渋滞の原因のひとつでもある。東連津川を渡るまともな車道は、海岸に近いほうから日立市道817号(旧国道)、国道6号、県道10号日立いわき線の3本しかない。折笠スポーツ公園から旧国道に抜ける市道も交通量が多いが、地元の人間でないといまひとつ使い勝手がよくない。
東連津川が交通の妨げになってきたのはいまに始まった話ではないらしい。名前の由来がそれを物語っている。
東連津川は昔、大雨のたびに、上流からの土砂と波に打ち返された土砂が堆積した湿地帯で、人馬も「通れなかった」川であったことから名が付いたという。
水嶋 保:茨城の滝(読売茨城タウンニュース社、2005年)
現在、東連津川の両岸には水田が広がっているが、かつては湿地帯だったことが容易に想像できる。国道6号より下流は、かつては大きく南に蛇行し、小木津浜の集落の裏で北東に流れを変え、太平洋に注いでいたとのこと。たびたびの洪水で土地は浸食され、家屋浸水に悩まされたという。
東連津川はこのように小さな川であるが、かつては十八もの堰と、十二もの水車を有していて、生活にとってかけがえのない豊かな恵みを与えてくれる川だった。現在でも、東連津川の水は水田地帯を潤す農業用水に使われている。六号国道より下流では、かつて東連津川の河道は大きく南の方に蛇行していたが、河川の整備が行われ、現在では直線的な河道となっている。
ひたか民話の会:ふるさと文庫 東連津川風土記(筑波書林、1992年)
付近には縄文時代中期以降の遺跡が点在する。短い川ではあるが、数千年前から人々の生活を支えてきた川である。
2009年10月18日、日曜日。東連津川の河口へと向かった。サーフィンを楽しむ人や、釣り客でにぎわっている。人が入らないよう写真を撮るのに少し苦労した。

河口(小木津浜から)

東連津橋
東連津橋のはるか向こうに見えるのが神峰山、東連津川の源だ。その北側に位置するのが沢平集落、今回の目的地である。目に見える距離にあるという意味では近いような、でもやっぱり遠いような。
旧国道を越えて、南側の護岸を進むと国道6号に出る。国道を横切るのは危険なので、少し南にある押しボタン式信号機の横断歩道で渡る。国道6号から先は北側の岸を歩く。ちょうど稲刈りの時期で、多くの軽トラックが止まっている。彼方に見える常磐線をE501系電車がゆく。のんびりした秋の風景だ。
舗装路を横切ると南側の岸へと移動する。そのまま歩いていくと常磐線にぶつかる。

常磐線
残念ながら、この場所では常磐線を徒歩で越えることはできない。川の中を歩くわけにもいかないので、迂回するしかない。ところが、すぐ近くに迂回路はなく、南北のいずれかに大きく移動しなけらばならない。どちらに向かうか少々迷ったが、少しでも近そうな南側へと歩くことにした。
常磐線を越えるとすぐに茨城県道10号 日立いわき線だ。そして東連津川に再会する。頭上には常磐自動車道がのびる。

常磐自動車道
ここから山裾にかけて集落が広がる。地盤が安定している山肌近くに家々が立ち並び、川沿いは水田となっているようだ。小木津山自然公園の山々が正面に見える。

小木津山自然公園を望む
集落を過ぎると道は未舗装となり、川の両岸を覆っていたコンクリートの護岸もなくなる。街歩きはここで終わり、この先はちょっとしたハイキングとなる。この付近は海抜約50m。東連津川源流の海抜はおよそ350mなので、7分の1ほど登ったことになる。残りは300m、気合いを入れて先へ進む。
山裾から神峰山の下の沢平集落の手前まで、東連津川は一気に高度をあげる。直線距離がおよそ3.6km、高低差300m。平均勾配は8.3%だ。なかなかの急勾配といってよい。
東連津川に沿って林道を歩く。林道は未舗装で、ところどころ鉄板で補強されている箇所もあるが、一般の車でも十分通行できるだけの余裕がある。林道は川面よりやや高いところを通る。途中に堰があるにもかかわらず、大きな岩がごろごろしているのがわかる。

林道に沿った流れ
しばらく行くと林道が分岐する。左に向かうと小木津山自然公園と羽黒山を経由して神峰山を結ぶハイキングコースへ出る。今回は東連津川の遡行が目的なので、ここを直進する。
さらに歩くと、林道から別れ、東連津川最大の見所である不動滝に出る。

不動滝
大きくはないが、幽玄さを備えた滝である。周囲には誰もおらず、ただ水の音が響き渡る。休憩も兼ねてしばし滝を鑑賞し、傍らの祠に旅の無事を祈る。
滝の右手には巻き道がつけられており、これを登ると滝の上に出る。さて、問題はここからだ。道はここで終わり、川の中へと消えてしまっている。よく見ると川の上流部に道の続きらしきものがあるので、落ちないように注意して進む。

不動滝上流
国土地理院の2万5千分1地図によると、道は川の南岸にあることになっているが、この道は北側にある。日立市内の山中は地図がまったく当てにならないと聞いていたのだが、実際に目の当たりにしてみると不思議な感じがする。
不動滝までの道は頻繁に人が踏みしめた形跡があったが、不動滝から先はあまり人が通っている様子はなさそうだ。それでも道の形態をなしているので、たまに林業関係者が入るのだろう。滝から少し先で川を渡り、北岸から南岸へと移る。もちろん、橋などといった気の利いたものはない。

渡河
この先はちょっと開けた地形になっている。木々の隙間から漏れる柔らかい日差しに心が和むが、よく観察すると数メートルもある岩があちこちに転がっている。大雨のたびにこれらの岩々が流され、やがては河口部に土砂として堆積するのであろう。

巨岩
地震かなにかで岩がいつ動き出してもおかしくない。そう考えると急に怖くなったので、足早にこの場を去ることにした。しかし、どうがんばってもこの先の道がみつからない。進もうにも強烈な藪に行く手を遮られる。

藪
川の南岸を進むのは無理と判断し、渡河地点まで戻る。北岸には踏み跡らしきものが続いていたので、それを辿っていくことにする。しかし、この踏み跡は不明瞭な箇所が多く、踝までずっぽり埋まってしまう泥濘があったりと一筋縄ではいかない。そのくせ、栄養ドリンク剤の瓶が落ちてたりするので、人が通らないわけでもないらしい。
道は川沿いを進んでいるものの、どんどん川面から高度をあげていくのがわかる。気がついたらかなりの高さまで登っていた。下に見える川の流れはかなり激しそうだ。転落したら無事では済まないだろう。しかし、もはや引き返せないところまで来てしまったので、木々に捕まりながら歩を進める。

川面から高度を上げる
クモの巣は顔にかかるし、先はどうなっているかわからないし散々である。やがて水音が聞こえなくなった。ついに東連津川から離れてしまったらしい。勾配はますますきつくなる。安定した平地がないので、休憩もままならない。このへんで自分の身が心配になってきた。
そろそろやばいかもと思ったそのとき、急に目の前が開けた。小木津山林道だ。

小木津山林道
一変した光景に、思わずその場に座り込んでしまった。自分が出てきた箇所を改めて確認するが、よくこんなところから出てきたなと感心するばかりである。
ここから先は林道を歩く。離れていた東連津川が再び見えてきた。川の周囲はやや開け、湿地帯が広がっている。地図上は水田となっていることから、おそらく耕作放棄地だろう。

耕作放棄地
小木津山林道は沢平の直前で行き止まりとなり、沢平へ出ることはできない。沢平に抜ける道は、先ほどの湿地帯を挟んで東連津川の南岸にある。こちらは完全な徒歩道で、車は通行できない。
川辺へ降り、対岸に渡る。このあたりから羽黒山へと抜けることができるが、現在(2009年10月)は伐採作業中のため立ち入り禁止とのこと。さらに、この東連津川南岸の道は、耕作放棄地の東端で藪に覆われ消滅している。かつては道があったようにも見え、だとすれば国土地理院の地図は正しいのだが、はたしてどうだったのだろうか。
この付近の東連津川の流れは心なしか優しく見える。

穏やかな流れ
ここから先の道ははっきりしており、それなりにきつい坂ではあるが足取りも軽い。沢平まであと少しだ。
沢平の東には送電線が通っており、東連津川沿いの道はこれを支える鉄塔への作業道としても機能しているようだ。そのためか、川にはしっかりとしたつくりの橋が架けられ、道として現役であることがわかる。

木橋
やがて柵に囲われた果樹園らしきものが出現し、それを越えると人家が見えてくる。沢平集落だ。

沢平
東連津川は集落内を東西に抜ける。沿うように道があるので、それを追って先へと進む。集落内を流れる東連津川の川幅はとても狭く、途中にあった大きな岩を押し流すような迫力は感じられない。

集落内の流れ
周囲の山々を源とする小さな流れが集まり、やがて大きな流れとなるのだろう。自然の力の大きさをあらためて認識させられる。
集落を出て数分歩くと大きな広場に出た。どこかの会社の資材置き場らしい。

資材置き場
神峰山の北部の沢がこの広場付近に集まっているようだ。水の流れはまだまだ奥へと続くようだが、この付近は地元の共同管理地であることと、イノシシ狩りの真っ最中らしいので、これ以上の立ち入りは迷惑になると考え、ここで遡行を終了することにした。地図には流れが載っていないところまで達したので、十分満足である。
河口からここまで3時間15分。距離の割にはだいぶかかったが、いったりきたりを繰り返しているので、まあこんなものであろう。帰りは素直に舗装路を歩くことにした。お隣の藤坂集落を経て十王川沿いに十王駅を目指す。こちらの経路は迷いようがないのだが、同じく3時間近くかかった。
帰り道、歩きながら考えた。地図に載っている東連津川南岸の道は存在したのだろうか。不動滝の手前には、地元企業の山岳部が設置した案内板があり、沢平に抜けられると書いてある。同じく沢平の下の耕作放棄地には、小木津山自然公園へ抜けられるとの案内板もある。どちらの案内板もそれほど古いようには見受けられず、そんないい加減に設置したとも思えない。
また、かつては沢平と麓の小木津、あるいは川尻を結ぶ生活道路があったはずである。現在でこそ車道が十王川方面から延びてはいるものの、徒歩で移動するなら東連津川を下っていったほうが近い。
その一方で、小木津山林道から垣間見えた東連津川の対岸には、道が存在できるような余裕が感じられなかった。道があったとすれば、川の直近ではなく岸から少し離れたところだったかもしれない。いずれ余裕ができたらまた調べてみたい。
その日の夕方、あらためて東連津川の河口に立った。出発時に見かけたサーファーの姿はなく、子供たちが釣りや水遊びに興じていた。この光景は昔からそんなに変わらないのかもしれない。

河口(東連津橋から)
神峰山に沈んでゆく夕日に別れを告げ、今回の旅は終わった。
水嶋 保:茨城の滝(読売茨城タウンニュース社、2005年)
ひたか民話の会:ふるさと文庫 東連津川風土記(筑波書林、1992年)