岩間が酷いことになっているらしい。
3月11日の地震から1週間が過ぎた頃だろうか。人づてにそのような話を聞いた。津波にやられたそうだ。ただ、そのときは具体的な被害の話はなかったので、酷いといっても近所の関田海岸よりちょっと被害が大きいくらいだろうと思っていた。
そう思ったのには理由がある。関田海岸と岩間町は4、5kmしか離れていない。どちらも菊田浦に面し、同じような防潮堤が築かれている。押し寄せた津波に大差はないはずだ。もしかしたら津波が少々高かったのかもしれない。それで多くの家屋が床上まで浸水してしまったのだろう。そのように想像していた。
テレビは福島第一原発の状況と宮城、岩手の被害を映すばかりで地元の情報は入ってこない。直接確認したくともガソリンがなくて動けない。原発事故のため人の往来も減り、やがて噂話すら聞こえなくなった。
そんなこんなで地震から1ヶ月。いわき市内はようやく落ち着いてきた。給油待ちの列に並ぶこともなく、食料もいつもどおり入手できる。それでようやく市内の被害箇所を直接この目で確認できるようになった。
そして初めて知ったのだ。すぐ近くで恐ろしい被害があったということを。
常磐自動車道をいわき勿来ICで降りて岩間町へと向かう。国道6号の鮫川大橋を渡り、福島県道239号 泉岩間植田線へと降りる。常磐共同火力 勿来発電所の先からは目を疑うような光景が広がっていた。




防潮堤は決壊し、道路の反対側まで押し流されている箇所もある。場所によっては路面のアスファルトが剥がれ、下の地面がむき出しだ。その防潮堤に守られていたはずの集落は、ほぼ全滅の様相を呈していた。


おそらく無事な家はひとつもない。聞いた話では、防潮堤は津波の第2波で破壊されたという。第1波を見てこれはまずいとなり避難を始めたとのこと。ただ、その間に逃げ切れなかった人もいたようで、多くの人が亡くなったようだ。集落のすぐ裏は高い崖なのでそこに登れば助かるのだが、高齢者にとって容易ではない。
福島県警察本部が発表した東日本大震災で死亡した方々の住所と氏名によると、住所が岩間町となっている方が7名いる。そのうち6名が岩間町岩下、1名が岩間町竹ノ花、つまりいちばん下の写真に写っている範囲だ。全員が70歳以上の高齢者である。
3月11日の地震におけるいわき南署管内の死者は9名。住所が必ずしも被害に遭遇した場所ではないだろうが、岩間町に被害が集中していることはほぼ間違いないだろう。
岩間町から岬をひとつ越えた先が小浜町。漁港と海水浴場を抱える小さな漁村だ。ここもまた津波によって甚大な被害を受けていた。



津波は道路を乗り越え、集落の奥まで到達したらしい。道路はきれいに片付けられて容易に通れるようになっていたが、道端に並べられたごみの山が痛々しい。小浜漁港では船が転覆したり打ち上げられたりしていた。


転覆した船の周囲を鴨の親子が仲良く泳いでいた。津波が押し寄せようが放射性物質が降り注ごうが、彼らの生活は変わらないらしい。ある意味うらやましい。
地震の翌日、勿来駅の歩道橋から岩間町のほうを見たときのことを覚えている。そのときは崖の色がなんか変だなくらいにしか思わなかった。あの付近の崖は2008年の岩手・宮城内陸地震で崩壊したくらいだからまた崩壊したのだろう。でも崩れたのは海に面した部分らしいし、たいした被害はあるまいと軽く考えていた。まさか集落が全滅するような津波が押し寄せていたとは想像もしていなかった。
関田海岸と岩間町で何が明暗を分けたのか、その理由はわからない。そもそも押し寄せた津波の大きさが違うのか、それとも防潮堤の強度に差があったのか。詳しい調査がなされることを切に願う。