目指せ!弥七の墓 茨城県道39号 笠間緒川線

はじめに

2002年2月11日。月曜日。天気晴れ。前日の寒さが嘘のように暖かい。絶好のドライブ日和である。というわけで以前から気になっていたスポットを訪れることにした。弥七の墓である。おそらく、茨城県内の数ある旧跡、名所の中でも最もマイナーなもののひとつである。場所の知名度をゆかりの人の知名度で割った値は茨城県内で最小値であろう(どういう値だ)。しかも博物館や生家ではなく、ただの墓という潔さである。

場所は茨城県那珂郡緒川村。栃木県に接する山あいの村である。それだけにアクセスするルートも限られており、基本的に国道293号、茨城県道12号 御前山烏山線、茨城県道39号 笠間緒川線のいずれかを選ぶことになる。

地図とにらめっこすること1分弱。見た限りでは県道39号が最も近そうだ。当研究所から笠間市までのルートを含め、ほぼ一直線に北上すればよいだけである。そのほかのルートはただでさえ遠回りなうえ、混雑しがちな水戸市内を通過することになるのが嫌だからである。

2002年2月11日。月曜日。午後1時。笠間市内のガソリンスタンドで給油をすませ、弥七の墓を目指して県道39号へと突入したのであった。

突入!茨城県道39号(笠間市金井→七会村塩子)

県道39号は笠間市内を走る国道50号の金井交差点から始まる。きちんと「緒川」の表示もある。道なりに進めば弥七の墓にたどり着けるはずである。

茨城県道39号 笠間緒川線 起点(笠間市金井)
茨城県道39号 笠間緒川線 起点(笠間市金井)

入り口だけ幅が狭いものの、笠間市内は2車線の快適な道路である。まだ2月とはいえ、もう春の陽気がただよっている。天気もいいし、窓を開けて走ることにする。10分も走ると「さくらトンネル」なる立派なトンネルを抜け、七会村へと入った。トンネルの直前には旧道らしき道があったが、そちらはとても狭そうだ。これはこの後に現れる県道39号の正体の一部だったのだが、このときは気づく由もなかった。

トンネルを抜けるとすぐにT字路に突き当たる。このT字路を左折し、少し走ると再びT字路に出た。次は右折。なかなか一筋縄ではいかない県道だなあと思う間もなく、またもや100m程度でT字路へ。ここを左折である。なんでこんなにジグザクに走らにゃならんのじゃ。またもやハンドルを切る。

七会村役場付近(七会村徳蔵)
七会村役場付近(七会村徳蔵)

な、なんじゃこりゃ。道幅が車1台ぶんしかないんですが。しかも先が見えないし。とはいえ、どうしようもないので意を決して前進を開始。それにしても狭い。それに加えてカーブが多い。対向車が来たらどうするんだよ、と思った矢先に早速やって来たが、相手が人家の庭先(たぶん赤の他人の家)に入って待避してくれたので無事やり過ごす。しばらく進むと再び対向車登場。こんどばかりはいかんともし難いので、私のほうで半分畑に突っ込む形で待避する。

本当にこれが30番台の県道なの?もしかして曲がる場所を間違てしまったのかも。疑問を不安を持ちつつ進むと、Y字路に遭遇した。どちらに進めばよいのか一見しただけではわからなかったが、道標があるので見てみる。

山びこの郷付近(七会村徳蔵)
山びこの郷付近(七会村徳蔵)

一見左が正解のように見えたのだが、右折が正解らしい。Y字路を過ぎるとゴルフ場内に突入。なぜかゴルフ場内だけは2車線なのだが、ゴルフ場を抜けると隘路へと逆戻りである。しかも未舗装区間まで登場する始末。もう勘弁してください。

未舗装区間
未舗装区間

未舗装区間を抜けると人家が見えてきた。この狭い道もここでおさらばだと思いきや、実は左折が正解だったりする。道標となるものはなんにもないが、左折するとご丁寧に路線番号標識がある。いまのところ迷子にはなっていないようだ。あまり嬉しくはないが。

わかりづらい分岐(七会村小勝)
わかりづらい分岐(七会村小勝)

左折するといままであった路側帯が消滅。別に道幅が極端に狭くなったわけではないのだが、閉塞感が増したことには変わりない。道路の中央部には苔が生えている始末である。対向車が来ると避けようがないので困るのだが、来なければ来ないでこの道路はどこかに通じているのか不安になる。

路側帯消滅(七会村小勝)
路側帯消滅(七会村小勝)

路線番号標識の下の補助標識によると、いつの間にやら塩子地区に到着していたようなのだが、人家の気配がない。ひたすら薄暗い杉林の中を進む。路肩に杉の葉っぱが堆積していて、迂闊に踏むと滑りそうだ。

杉林の中を進む(七会村塩子)
杉林の中を進む(七会村塩子)

ようやく集落に到着。迂回路とか案内があるので近寄って見てみると、道路が崩落している。迂回路でその先へ。

崩落現場(七会村塩子)
崩落現場(七会村塩子)

なにはともあれ、ここを過ぎるとまともな道に復帰する。いったん茨城県道51号 水戸茂木線と合流し、少し水戸方面へと走ると再び分岐する。曲がるとすぐに不吉な案内が出ている。これまでの経過を思い出すと、あながち嘘に見えないから困ったものである

警告表示(七会村塩子)
警告表示(七会村塩子)

一抹の不安を抱えながら先に進む。目指す緒川村までまだ半分も進んでいないというのに。

進め!茨城県道39号(七会村塩子→緒川村)

県道51号と別れてからしばらくはセンターライン付きの立派な道路だったのだが、それも少しのことでまたもや隘路区間に突入。「崖崩れのおそれあり」の警告が頭をよぎる。

センターライン消失(七会村塩子)
センターライン消失(七会村塩子)

けなげに路線番号標識が立っている。県道39号なのは間違いなさそうだ。

まだまだ続くよ狭隘区間(七会村塩子)
まだまだ続くよ狭隘区間(七会村塩子)

突然目の前がひらけたと思ったら、桂村に到着。こんなところで突然交差点が出現するのは全くの予想外でびっくり。

七会村 - 桂村境
七会村 - 桂村境

桂村に入ると二車線区間となる。県道39号は桂村の端をわずかにかすめるだけらしく、すぐに御前山村に突入。

桂村 - 御前山村境
桂村 - 御前山村境

御前山村に入ると再びセンターラインが消滅。しばらく走ると人家が見えてきた。

集落に到着(御前山村下伊勢畑)
集落に到着(御前山村下伊勢畑)

集落を抜けると、またまた狭隘区間に突入。

またまた狭隘区間(御前山村下伊勢畑)
またまた狭隘区間(御前山村下伊勢畑)

この区間はここまでの狭隘区間ほど狭いわけではないのだが、ひとつ決定的な違いがある。それは、ここまではほとんどの区間で道の両側が林だったのに対し、ここだけは道のどちらか一方の側は切り立った崖、反対側は谷(ガードレールはついてるけど)なので、対向車がきたら待避所まで下がらなければならない。そのせいか、この区間だけは待避所の案内が出ている。もちろん、失敗すれば崖かガードレールで車をこすることになる。

最凶区間(御前山村下伊勢畑)
最凶区間(御前山村下伊勢畑)

向こうから誰も来ないことを祈りつつ進む。祈りが天に届いたのか、誰にも出会うことなく狭隘区間を抜けることができた。

狭隘区間終了(御前山村下伊勢畑)
狭隘区間終了(御前山村下伊勢畑)

さらに進むとかなり立派な道路になった。ここにはダムを建設しているようで、もしかしたらいま通ってきた道はそのうちダムの底に沈んでしまうのかもしれない。それであまり整備されていなかったのかと思うと納得もいく。

御前山ダム(建設中)
御前山ダム(建設中)

ここから先は狭隘区間もなく、那珂川を渡って国道123号に合流。少し水戸方面に走って、再び北へ分かれる。そんなこんなでようやく緒川村に到着。目指す弥七の墓までもう少しだ。

カバヤゴルフクラブ付近(緒川村国長)
カバヤゴルフクラブ付近(緒川村国長)

緒川村内はこれまでのような狭い区間はない。せっかくなので県道39号の終点まで走ってみることにした。

茨城県道39号 笠間緒川線 終点
茨城県道39号 笠間緒川線 終点

すっかり当初の目的を忘れ県道39号を走破してしまったが、もとはといえば弥七の墓を見に来たのである。来た道を引き返すのもなんなので、案内にしたがって県道39号とは別ルートで弥七の墓へ。

到着!弥七の墓

なんだかんだですっかり疲れたが、ようやく弥七の墓に到着。

弥七の墓
弥七の墓

お墓の写真を撮るのは気が乗らないので、なるべく遠ざかってこっそりと撮影。弥七の墓と一緒に、妻お七の墓も並んでおかれている。ちなみに観光客は私ひとりだけ。結構広い駐車場があるが、ほかに車はない。

写真右下の案内を眺め、置いてあったパンフレット手にとって読んでみる。それによると、

風車の弥七
本名 松之草村小八兵衛。もともと盗賊の首領で、ある年光圀公に捕らえられたが、光圀公は思うところあって罪を許し解き放った。小八兵衛は感激し、「自分の命ある間は御領内に盗賊を立ち入らせませぬ」と誓った。それ以降、御領内では夜盗の類はなくなり、光圀公は隣国の様子まで居ながらにして知ることができた。小八兵衛は一昼夜に三十里を往来し、忍の達人だったという。

ちょっと待て、松之草というのはこの付近の地名である。ということは、苗字がなかったということなのでは。本当に光圀公に取り立てて貰ったんだろうか?それに小八兵衛という名前、どこかで聞いたような…ん、八兵衛?ということは、

弥七の正体 うっかり八兵衛

という解釈でよろしんでしょうか?そうそう、ついでにもうひとつ。

風車に関する記述がない!

お墓の周囲には多数の風車が飾られているだけに、余計気になってしょうがない。

道路を挟んでお墓の反対側には弥七の住居跡なる案内があったが、いまでは畑になっており、老婆が一人、畑の手入れをしていた。ほかに人影はない。だんだん日も傾いてきたし、なんだか寒くなってきたので10分程度の滞在でその場を去ることにした。もちろん、県道39号を引き返すのはもうこりごりなので、いったん国道123号で栃木県に出て、国道294号で再び茨城県に入り、そのまま帰宅。

おわりに

「弥七の墓訪問記」のつもりで企画した今回の旅、いつの間にやら「茨城県道39号走破記」になってしまった。それにしても、舗装されていなければ黄門様ご一行が歩いていてもおかしくないような道である。だが、もしかすると、黄門様の時代と同じ風景が残っている道なのかもしれない。そう考えると味わい深い道である。

[先頭に戻る]

Copyright (C) 2002-2024 烏合総合研究所