交通困難地へいってみよう

はじめに

本稿執筆時(2009年3月23日)の「交通困難地・速達取扱地域外一覧」には小滝が掲載されていたが、現時点(2019年3月24日)では掲載されていない。この一覧に掲載されているのは「居住者がいる交通困難地」である。居住者がいなくなった理由は、東京電力が発生させた福島第一原子力発電所の炉心溶融(メルトダウン)と放射性物質の放出をともなった原子力事故のためであることはいうまでもない。

現在は避難指示解除準備区域に指定されており、立入りが原則制限、禁止されている。当時の「交通困難地・速達取扱地域外一覧」はInternet Archiveで入手できる。

交通困難地とは

交通困難地。読んで字のごとく交通が困難な土地といってしまいたいところだが、郵便配達に関しては特別な意味を持つ。それは、日本国内の郵便に関する規定「内国郵便約款」の第80条に「交通困難地にあてた郵便物の取扱い」として定められている。以下引用。

第80条 特に交通困難であるため周年又は一定期間内通常の方法により郵便物を配達することができない地域として当社が別に定めるものにあてた郵便物は、その地域にあてた郵便物の交付事務を取り扱う事業所に当社が別に定める期間(以下この項及び次項において「留置期間」といいます。)留め置き(その地域の指定が一定期間についてなされている場合において、留置期間内にその一定期間が満了するときは、その満了の日までの期間留め置きます。)、受取人の来店を待って交付します。(第2項以降省略)

つまり、配達ルートが危険なので指定の郵便局まで自分で取りに来いってわけである。配達可能な地域に郵便受けを設置すればそこまでは届けてくれる(第80条第3項)ようだが、いずれにせよ玄関まで配達してくれるわけではない。

具体的な地域は別冊の「交通困難地・速達取扱地域外一覧」に記載されている。ただし、この一覧には、住所があっても居住者がいない地域は載っていない。逆にいえば、この一覧に載っているのは人が住んでいるのに郵便物が届かない場所というわけだ。

本稿執筆時(2009年3月23日)、交通困難地は16都道県の33市町村に存在する。北海道はさておいて、ほとんどは山小屋の類だ。硫黄島や南鳥島のように、民間人の立ち入りが厳しく制限されている場所もある。

その一方で、山小屋でもなければ民間人立ち入り禁止でもなく、普通に人が住んでいるにもかかわらず郵便物が配達されない地域がわずかながら存在する。そんな交通困難地のひとつが福島県相馬郡飯舘村大倉字小滝だ。

福島県相馬郡飯舘村。阿武隈山地の北部に位置する村である。阿武隈山地は、阿武隈川以西の奥羽山脈側よりも降雪量は少なく、冬は温暖で夏は涼しいという特徴がある。比較的なだらかな山が多く、全体にわたって集落や田畑が点在する。およそ交通困難地とは縁がなさそうな地域なのだ。

小滝の指定期間は12月1日から翌年の4月末日まで。冬季のみの指定なので、おそらくは積雪が原因なのだろう。それにしても4月末までとは長い。雪が少ない阿武隈山地で4月まで雪が残っているなんて聞いたこともない。

そんな地の果てみたいなところが本当に阿武隈山地に存在するのだろうか。自分の目で確かめてみるべく、あえて指定期間中に小滝を訪れてみることにした。

最初、南会津郡舘岩村(現在は南会津郡南会津町)と勘違いしていたのはここだけの秘密。

佐須峠を越えて

2009年2月15日、日曜日。高速バス いわき - 福島線にて福島市へ。翌2月16日、福島駅前からバスを乗り継いで霊山町へと向かう。目的地の小滝は飯舘村にあるが、飯舘村の中心部よりも霊山町から出発した方が近い。

霊山こどもの村入り口でバスを降り、旅の準備を始める。準備といっても、eTrex LegendがGPS衛星を捕捉するまでの間、軽い準備体操をするだけだが。そう、ここから徒歩で小滝に向かうのだ。

国道115号を東へ少し進んで、福島県道31号 浪江国見線へ入る。まずは霊山を背に佐須峠を目指す。路肩に雪が残る。最初は寒いと思ったが、歩き出してしまえばなんてことはない。時折雪が舞う中、峠に向かって登ってゆく。

霊山
霊山

福島県道31号は目下改良中らしい。国道115号からわかれてしばらくの間は二車線道路だったが、峠の付近はセンターラインのない狭隘路だ。路肩も若干弱そうにみえる。約30分で佐須峠に到着。切り通しの峠だ。

佐須峠
佐須峠

峠を越えると飯舘村に入る。「注意 熊出没」の看板がお出迎え。阿武隈山地にクマはいないと思っていたのだが、最近はそんなこともないらしい。クマは冬ごもりするとはいえ目を覚ますこともあるようだし、それに一昨日は2月の最高気温を各地で塗り替えたほどの暖かさだった。いつ目の前に現れてもおかしくない。それもお腹を空かせた状態で。あまり考えたくない。

峠を下ると佐須の集落。思っていたよりも家が多い。さすがに小学校は廃校になっていたけど。もちろん、ここは交通困難地ではない。郵便物は一年を通じて配達される。

佐須
佐須

この付近でeTrex Legendの電池残量が少なくなったので電池を交換。出発から1時間15分、小滝へと向かう村道との分岐に到達。右折が県道31号、直進が飯舘村道 佐須・大倉線。目的地の小滝は直進だ。

村道分岐点
村道分岐点

この場所にはもう使われていないバス停らしき建物があった。トタン板の屋根と壁があり、中にはベンチも備え付けられた立派なものだ。かつては佐須までバスが走っていたのだろう。

佐須から小滝へ

ここからは真野川に沿って歩く。真野川の流れる方向に歩いているはずなのだが、道は上り坂。雪が強くなってきて、このまま本格的な雪になるのかと心配したが、数分でやんだ。

道が下り坂に転じると小さな集落があった。前乗というらしい。集落の外れでは炭を焼いていた。かつて炭焼きは飯舘村の重要な産業のひとつだったという。

そしてここから先、小滝までの約4.5km、人家は一軒もない。

前乗
前乗

道は真野川沿いにつけられているが、川面からずいぶん高いところを通る。それでも前乗からしばらくの間は道がよく、紅葉シーズンにはいい眺めであろう。いまはまだ暗く沈んだ冬の装いから抜け出していないが。

真野川渓谷
真野川渓谷

前乗から1.5kmほど進んだ地点では道路の新設工事が行われていた。このあたりは真野川に流れ込む沢を迂回するようになっているが、新道では川の上を橋梁で通してしまうらしい。

新道建設現場
新道建設現場

逆に、旧道として取り残される区間はそれほど整備されておらず、落石はおろか一部に未舗装まである始末。新道完成後、ここは封鎖されるのであろう。かつてこの付近には真野川発電所という水力発電所があったそうだが、それを思わせる物は確認できなかった。

前乗から約3kmの地点で、九十九折れで一気に高度を下げる。これにより真野川の水面が近づく。この九十九折れのいちばん下のところに先ほどの新道が接続されるようだ。

比較的新しい橋で真野川を渡る。見ての通りまだまだ下りが続く。この先は既に道路が整備されたようで、道はしっかりしている。ここまでのところ、さっきの工事箇所を除くと交通量はゼロだが。

真野川を渡る
真野川を渡る

この付近は日当たりが悪いせいか、路肩に雪が残っている。一部には路面にもわずかに雪が残っていた。タイヤの跡があることから、交通量はまったくゼロではないらしい。

路面に残る雪
路面に残る雪

また目の前に橋が見えてきた。その名は小滝橋。つまりこの橋を渡れば小滝集落だ。霊山こどもの村を出発してから2時間40分、ようやく目的地にたどり着いた。

小滝橋
小滝橋

橋の欄干には昭和38年10月竣工とある。橋の両側のアスファルトに比べ、橋だけ古ぼけて見える。欄干が低く、うっかりすると川に転落しそうだ。

小滝から湯舟へ

小滝橋を渡ると、右手にお墓がひとつある。比較的新しく丁寧に手入れされている。さらにその先、一軒の家がある。ここが紛れもない小滝の集落だ。

小滝(佐須方面から)
小滝(佐須方面から)

道を挟んで向かい側には田んぼがある。手が入っており放置されているわけではないようだ。当たり前だがきちんと電線も通っている。

田んぼ
田んぼ

真野川沿いにわずかに開けたこの土地が小滝の全てといってよい。ここまで通過してきたほかの集落に比べると狭く、以前から人が少なかったと想像される。かといって、それほど交通が困難かといわれるとそれも疑問だ。この程度の集落ならば、同じ福島県内にいくらでもあるような気がする。

小滝(大倉方面から)
小滝(大倉方面から)

10分ばかりで小滝を後にし、村道を大倉方面へと歩き始める。ここが大倉字小滝というからには、大倉の中心地に出てみるのがどのくらい大変かを調べるのが筋というものだろう。

小滝から先、真野川は深い谷の底を流れてゆく。道は再び川面から離れ、谷の壁に沿うように進んでゆく。曲がりくねってはいるものの、舗装が行き届いており車での通行に支障をきたすような道ではない。

大倉方面からへの道
大倉方面からへの道

途中、真野川に流れ込む沢を渡る橋があった。平成7年3月竣功とある。そのすぐ脇には旧道の橋が放置されており、こちらは昭和44年12月竣功と原町営林署のプレートがつけられている。このことから、この道がもともと林道だったことと、昭和44年には小滝までそれなりの道がつけられていたと思われる。

小滝を出てから20分、目の前にはやま湖が見えてきた。湖水のほとりが大倉地区だ。

はやま湖
はやま湖

さらに10分ほど歩いて、はやま湖を見下ろす畑の端に座って昼食にする。まだ人家は見えないが、畑の様子がらすると人里は近い。雪が降る気配もなくなった。それで安心して疲れが出てしまったのかもしれない。しばらく休憩して、また歩き始める。

湯舟から日立木駅へ

小滝からおよそ40分。ようやく湯舟に出た。湯舟は数軒の家が連なる集落で、もちろん交通困難地ではない。集落の外れでは切り出した木材をトレーラーに積んでいる作業の最中だった。さきほどの原町営林署のプレートからわかるように、かつてこの地域は林業が盛んだったのかもしれない。

湯舟
湯舟

ここで村道は終わり、福島県道268号 草野大倉鹿島線に合流する。県道を草野方面へ1kmほど進めば大倉だ。大倉には簡易郵便局があるので、できればこの目で確かめておきたかったのだが、帰りの都合を考えて反対側の南相馬市方面へと進む。

残念ながら大倉にはバスが通じていない。最寄りのバス停は8km先の南相馬市鹿島区上栃窪だ。はやま湖を横に見ながらえんえんと歩き、真野ダムから下り、上栃窪に着いたのは午後2時15分。午後2時のバスが出たばかりだった。

次のバスまで2時間近くあるので、常磐線の駅まで歩くことにした。最初はバス路線沿いに歩いて鹿島駅を目指していたが、途中で日立木駅のほうが近いことがわかり予定変更。日立木駅に着いたのは午後4時25分。ちょうど入ってきた列車に飛び乗り、原ノ町、いわきと乗り継いで帰宅。

日立木駅から仙台方面を望む
日立木駅から仙台方面を望む

結局、どうして小滝が交通困難地なのかはいまいちわからずじまいだった。途中の橋のプレートからすると、1969(昭和44)年以降には現在の道の原型となる道があったはずだ。もしかすると道は未舗装だったかもしれないが、それでも作業用の軽トラックが入れる程度の幅員は確保されていたと思われる。

ましてや現在、湯舟から舗装道路が延びているのだ。距離にして3.5km程度、車なら5分もかからないし、原付でも10分もあれば十分だろう。それでもいまなお交通困難地の指定から逃れられていないのである。

ここで、田部重治『新編 山と渓谷』(岩波文庫、1993年)の一節を紹介しよう。

たまに有峰に行った人があると、皆でよってたかって有峰の珍しい話をきくことが楽しみとなっていた。人家のないところを八里も行かなければならないことや、郵便脚夫が一週間に一度鉄砲を担いながらそこへ行くことや、平家の遺族がそこにいるという伝説などが、私たちをしていつかそこを訪れて見たいという心持を漸次高めさせていた。

1884(明治17)年生まれの著者の子供の頃の話だから、1894(明治27)年前後の話であろう。有峰とは富山県の奥深くに位置した有峰村のことである。有峰の位置や歴史ついては有峰森林文化村を参考にしてもらうとして、簡単にいってしまえば当時としても秘境扱いだった村だ。そんな村にでも、週に一度とはいえ郵便は届いたのだ。百年以上前、19世紀末の話である。

そして21世紀になったいま、冬の間だけとはいえ郵便が届かない地域がある。そんなバカな、と思うかもしれないが、これが現実なのだ。

ってさんざん偉そうなことを書いてきたけど、かつては真野川に沿った険しい道しかなく交通困難地とされていて、道ができたころには家が減って誰も困っていないのでそのままというのがオチなのではないだろうか。たぶん。

後日談

今回の旅の計画時、常磐線の相馬駅から玉野行きバスに乗り、菖蒲沢から山を越えて小滝に向かうという案があった。下図中のオレンジ色の道である。

相馬市から小滝へ向かう道
相馬市から小滝へ向かう道

このルートのほうが歩く距離が短くてすむのだが、同じ郵便局が管轄しているはずであろう飯舘村内の別の地区から小滝に入ったほうが、交通困難地の交通困難たる所以を知ることができるだろうと考え、この案は却下した。

後で知ったことだが、もしこの案を採用していたらとんでもないことになっていた可能性がある。このルートでは最後に真野川を渡り、小滝橋の少し西で村道に合流する。上のマップの右下の×印だ。この渡河地点はこんな具合である。

真野川の渡河地点
真野川の渡河地点

真野川の上に張られた2本のロープ。そしておそらく対岸に荷物を渡すための網。ロープの向こうには明らかに道が続いている。だけど、どうやって向こうに渡るんだ、これ?このロープでは無理だろう。海腹川背のようにラバーリングアクションで渡れとでもいうのか?自慢じゃないが、筆者のスペックはスペランカーの主人公なみだ。

川はそんなに深くはなさそうだが、流れはそこそこ早い。転倒しようものならたちまち流されてしまうだろう。この時期に水に濡れたら溺れなくても命にかかわる。

網の様子からすると、つい最近も使われているようだ。これで荷物を向こうに渡し、身軽になったところで徒歩で渡るのだろうか。それにしても危険すぎる。このルートを使わなくて助かったとしみじみ思った。

地理院地図(電子国土Web)によると、この道の向こうに建物があるらしい。真野川から300mほどの地点に、独立建物(小)の他、畑と桑畑の地図記号が書き込まれている。小滝を含む大倉地区にはやたら桑畑の記号が多い。これはかつてこの付近で養蚕が盛んだった名残である。小滝地区でも養蚕が行われていたのだろう。

さらに、地図・空中写真閲覧サービスの空中写真 MTO705X-C2-18(1970年5月24日撮影)を見てみると、この道の先に畑らしきものが写っており、その頃は人が住んでいたようだ。小滝が交通困難地である理由はこんなところにあるような気がする。

いまでもこの先には人が住んでいて、冬季以外なら真野川を渡って郵便物を届けてくれるのだろうか。それともかつては橋があったのに流されてそれきり、この先には人は住んでいないのだろうか。

どうしても気になるので、飯舘村史 第1巻 通史(飯舘村史編纂委員会、1979年)と第3巻 民俗(同、1976年)を調べてみたのだが、小滝に関する記述は見つけられなかった。せめて江戸時代から人が住んでいたのか、戦後の開拓地区かくらいわかるとよかったのに。

そのへんは結局うやむやのままのままだが、とりあえずこれにて終わる。

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