水戸の城下町から東へおよそ一里、那珂川の岸にその地はあるという。
…極楽って西にあるんじゃなかったっけ?(ここで「飛べ!孫悟空」の挿入歌が流れる)
2025年4月30日、ゴールデンウィークの合間の平日を利用して極楽へと向かうことにした。
水戸駅(北口) 3番のりばから8時44分発の茨城交通 平磯ゆきのバスに乗車。乗り込んできた外国人一行に運転手がこのバスは大洗にはいかない旨を告げると降りていった。大洗に向かうのなら鹿島臨海鉄道 大洗鹿島線でよいような気がするが、大洗水族館にいきたかったのだろうか。

水戸駅北口
乗客は私を含めて5人程度。柳橋一丁目で乗ろうとした一行も大洗にはいかない旨を告げられると乗車しなかった。運転手はこのような状況に慣れているらしい。そうこうしているうちに浜田営業所、国道6号を越え、極楽が近づいてくる。
上大野市民センターを通過。いよいよ極楽だ。水戸駅から22分。運賃370円。意外と近いな、極楽。

運賃表示機
バス停のすぐそばには信号機がある。この信号には信号機には交差点名標識がなく、「押しボタン式信号」の表示板があるだけだ。ここが極楽であることをあまり知られたくないのだろうか。

極楽バス停と信号機
バス停のすぐ近くには「極楽橋跡」の石碑があり、石碑のすぐ後ろには「ごくらくばし」という銘板が掲げられた橋がある。バス停以外でここが極楽であることを示すものはこれくらいしかない。それはさておき、「ごくらくばし」が存在するのに「極楽橋跡」とはこれいかに。

ごくらくばしと極楽橋跡の石碑
しばらく周囲を徘徊したが、当地が極楽であることを示すものは極楽バス停と極楽橋跡の石碑のみであった。目に入るのは地方都市の郊外のありふれた風景であり、この地が特に極楽に近いとは思えない。石碑に刻まれた碑文によると頻繁に大水の被害にあっているようで、むしろ極楽より遠いのではという気さえする。
極楽橋跡 関南沖書
昔から湊街道の新川にかけられていた極楽橋はしばしは大水のために流されて旅人を苦しめた。戦国時代の大永·享禄の頃(西暦一六世紀前半)一人の廻国の僧が流されたこの橋の修復を発願しその寄附金募集のために六地蔵寺の高僧恵範が作った勧進疏には大野郷極楽橋の名が見え橋は長さ五間幅六尺であったことも記されている。
まだ4月だというのに強烈な日差しが照りつける中、徒歩で極楽を去る。目指すは鹿島臨海鉄道 大洗鹿島線 東水戸駅だ。9時53分発の水戸ゆき列車になんとか間に合った。

東水戸駅から水戸市街を望む
水戸駅の改札を出て日常へと戻る。たった数時間の短い旅であったが、当研究所の原点に立ち返った気がした。
極楽の由来を知るべく茨城県立図書館で郷土資料を調べたものの、それらしい記事を見つけることができなかった。インターネットでも調べてみたがいまいち判然としない。それっぽいのは水戸私立上大野小学校のWebサイトにある「地域自慢」のページの記載くらいしかない。
水戸私立上大野小学校 地域自慢から抜粋
9.極楽橋
下馬橋から歩いてきた殿様が、この橋の前まできて馬やかごに乗れ、『ああ、極楽、極楽』と話したということです。
…殿様って誰?
ちなみに、水戸のもうひとつの極楽「極楽湯 水戸店」は水戸の西に存在する。水戸駅水戸駅(北口) からイオンモール水戸内原ゆき、または双葉台二丁目に乗車し、大塚池の端で下車。そこから徒歩3分。こちらは間違いなく極楽だろう。知らんけど(ここでドリフのビバノン音頭が流れる)。